冬至 室の八島の真実

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【索引】 メール 歌枕室の八島の歴史の旅
タイトル「室の八島の真実」について           註書きについて


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前書き
  室の八島の真実を伝えてるのは このWSだけです。

このWSを読んだら、「室の八島」を探しに 栃木県栃木市に行きたくなるでしょう。


このWSを読めば、[広辞苑]を初めとして、それらに書いてある事のほとんどが、 「あんたら室の八島を調べたこと有んの?」と言いたくなるほど間違いだらけ、 と言いますか デタラメばかりであることが分かるでしょう。 [広辞苑]

これほどいいかげんな説明のはびこっている歌枕は他に無いでしょう。そういう意味で 室の八島はとってもおもしろい歌枕なんです。だから、このWSを読むより そっちを 見る方がずっとおもしろいよ。
まあ、中にはまともなことを書いてる資料も有るには有るけどね。 内容はこのレベルだけど→ [大辞林]

 このWSは、市販本や他のWSにある室の八島の説明があまりにも間違いだらけなので、 室の八島の正しい姿を皆様に知って頂くために無償で一般公開しているものです。

そして中身は、
(1) 宇都宮頼綱の郷土愛の無さから、 [小倉百人一首] の中に室の八島を詠んだ和歌が一首も取り上げられておりません。 そのため、今では松尾芭蕉の [奥の細道] (1689年旅、1702年刊)の読者くらいにしか知られなくなってしまいました。 また地元の栃木県栃木市 【地図】 からも見捨てられてしまいましたが (註01)
かつては、下野(しもつけ)国内の歌枕のうちで 圧倒的に多くの和歌に詠まれ 、また江戸の町で知らぬ人は一人も居なかったくらい 有名な
(註02) 名所 (註03) ・室の八島
の歴史に関する学術的な研究書(研究論文兼解説書)です (註04)。 こういうものですから、ここに書いてある、本研究の主題に関する部分は どんな本にも載っておりません。

 「室の八島とは何か?」については
いろんな説 が有りますが、それらの説がいつ頃生まれ、またそれらの説の根拠がいかに いい加減なものであるか、このWSで全て分かります。 なお、『根拠がいい加減なもの』の最たるものが、何と上記[奥の細道]の解説書です。 これでは室の八島もたまったものではありません。 [奥の細道]解説書

(2) またこのWSは、室の八島ほかの歌枕を例にして解説した初歩的な 「歌枕調査方法の説明書」でもあります (註05) 。ですからここに出て来る室の八島以外の歌枕についても、ここに書いてある 内容は、市販の参考書より一味も二味も違います。なによりの違いは、ちゃんと根拠を 示して「××だから、この歌枕とは○○である」と説明していることで、こんな文献は おそらくこのWSだけだろうと思います。当然です。きちんと根拠を示さなかったら 研究論文にはなりません。 室の八島以外の歌枕

(3) このWSの内容は、こういうもので単なる読み物ではありません (註06) 従いまして、全編を読みこなすには(自分が読んでもスラスラとは理解できず、頭が痛く なるほどですので)かなりの根気と頭脳作業が必要です。
 その努力を惜しまれる方には、関心のある箇所のみ腰を落ち着けてじっくり読むことを お勧めいたします。
 このWSを初めて訪れた方は、まずこのトップページとそこからジャンプする備考を お読み下さい。それらを読むだけでも、参考書に書いてない、室の八島の歴史上の真実 が随所に出てきて面白いですよ。あなたの知らない真実が随所に出てくるのは当然です。だって
真実を知りたいという筆者(この私)の執念が参考書の著者さん 達とは全然違いますから。

 なおこの研究内容は、学会発表・本の出版等一切行っておりません。このWSでのみ 公開しています。




こんな町が他にあるでしょうか?
恋の煙の歌枕 室の八島 の中につくられ発展した町 栃木県栃木市 恋の町

 室の八島の歴史をたずねて栃木県栃木市に行こう。 行って本来の室の八島を探そ う。そして恋の歌を詠おう。まだどこかに痕跡が残っているに違いない。

 また [奥の細道] (1689年旅、1702年刊)の旅で、松尾芭蕉は室の八島を訪れていますが、曾良に 案内された場所・神社
【地図】 は、それまで芭蕉が頭に描いていた(人から聞いていた)室の八島ではありませんで した (註07) 。芭蕉が頭に描いていたであろう室の八島の場所を探し出し、もし芭蕉がそこに来て いたらそこで彼はどんなことを考えたか想像してみてください (註08)



結 論ちゃんと本文を読んでからこの「結論」 を読まないと、なぜこの「結論」に至ったかが正しく理解できません。
研究論文ですと、本文の前に書くべきは「概要(アブストラクト)」ですが、企業の 研究報告では、まどろっこしくてそんなものは書いてられません。そこで、本文の前に 「結論」を書くことになってます。企業の経営者にとって知る必要が有るのは、その研究の 「結論」だけなんです。

(1)室の八島とは?
室の八島 (室の八嶋、室八嶋、むろのやしま)とは、平安時代の 西暦900年頃 以来、「室の八島の煙」のように煙と結びつけて 数多くの和歌に詠まれた 関東有数の、そして下野国(しもつけのくに・しもつけこく、今の栃木県)随一の 歌枕 である。

 そして本来の室の八島は、かつて 下野国府 付近の広い範囲にわたって存在したであろう、「八島」の名によって表現されているような地形の 湿地帯で、あたかも名勝・松島や象潟(きさかた)を内陸部に再現したような景色の 景勝地推測される(だから有名な歌枕になり得たんです)

 ところがその景勝地・室の八島は、 1100年頃まで に 本来の景観を失って、その後の1150年頃までには正確な場所が分からなくなってしま ったのか、室の八島の場所が替わってしまい、それ以来21世紀の今日まで室の八島はさまよい続ける こととなる。

 さまよい始めた後の室の八島について概略説明すると、
1) まず中世には、室の八島の周縁部にあった下野国府の集落一帯が室の八島と呼ばれ るようになり (註1)

2) 近世には、中世室の八島の「下野国府の集落」がイメージを変えた「かつて栄えた 室の八島の町」のイメージや、本来の室の八島を想像して中世室の八島の地に作られた 八つの小島のある大きな池(現在は在りません) など が室の八島とされる。なお近世は室の八島の名が最も広く知れ渡った時代である (註3)

3) その後近代になって、学者達の間から「室の八島とは元々は竈(かまど)のことだった のである」という説や、「元々は大晦日(おおみそか)に行われる竈の行事のことだった のである」などとするほとんどデタラメな説が出てきて、「栃木県の室の八島などという場所は 元々存在しなかったのである」と考えられるようになるが (註4)

4) 1945年アジア・太平洋戦争終結以降になると、室の八島は近世の俳人・松尾芭蕉の [奥の細道](1689年旅、1702年刊)くらいでしか知られなくなり、[奥の細道] およびその解説書の影響で室の八島が有ろうことか宗教絡みの存在となり、栃木市の 大神神社 (おおみわじんじゃ)、および/またはその境内にある、 それぞれに小祠を祭った八つの小島のある 小さな池 が室の八島であると広く信じられている (註5)


(2)室の八島の煙とは?
 なおこの結論部を書いた2006年現在、室の八島の煙を水面から立ち昇る水蒸気 (正確には蒸気霧)とする見方が一般的だが、これは1100年頃に現れた見方であり、

1) 本来の「室の八島の煙」は「恋の煙」、すなわちホントの煙ではなく、和歌における  「恋をする(胸が熱くなる、胸を焦がす、恋の炎)→火→煙」 の 縁語 (えんご)関係 (註6) から生まれた、とっても粋な 架空の煙 であると推測される。

2) また当初煙は、室の八島の縁語ではなく、室の八島という言葉の中の 八島 という言葉の 掛詞 (かけことば)の相手であった、竈神(かまどがみ)あるいは竈を宮中の隠語(?)で 八島(やしま)と呼んだ、その八島の縁語だった、つまり室の八島と何ら関係のない竈の煙 だった可能性がある。 (註7)


●この「結論」を初めて読まれた方は 続けて観光宣伝文も読んでみてください。 似たような内容ですが、もう少し色をつけて説明しています。 観光宣伝文

●これだけの歴史が生まれたということは、室の八島がいかに知られていたかの証なんです。 有名だったからこそ、人々が寄ってたかってこんな複雑な室の八島の歴史を作りあげたんです (ただし、戦後は、有名だったのは室の八島ではなく[奥の細道]ですが)




緒 言
 (1)後世[奥の細道](1689年旅、1702年刊) の旅で松尾芭蕉も訪れた平安時代以来の歌枕 室の八島 に、波乱万丈の歴史があったなどと誰が想像し得たでしょう!!

室の八島はかつてはかなり名の知られた歌枕だったので、このウェブサイト(WS) でその多くを紹介してますように和歌を含めて史料はとても豊富にあります (註11) 。にもかかわらず今まで学術的に調査されたことは一度もなかったんでしょうか (註12) 、今回調査してみると、通説とは全く違っていた室の八島。その真実の姿 「さまよえる歌枕」の数奇な運命をたどる歴史の旅へ、これからあなたを ご案内致します。

<下野や室の八島に立つ煙(けぶり)思ひありとも今日(けふ)こそは知れ>大江朝綱
<いかでかは思ひありとも知らすべき室の八島の煙ならでは>藤原実方
<かくばかり思ひ焦がれて年経(ふ)やと室の八島の煙にも問へ>狭衣物語(さごろも− )
<糸遊(いとゆう)に結びつきたる煙かな>松尾芭蕉


 (2)なお「おまけ」として、過去300年間 誰一人として 全く歯が立たな かった (参考書の解説はデタラメだらけです) [奥の細道]のブラックボックス 「室の八島の段」 についても、頭使って頭使ってやっとこさ解読し、このWSで解説しておりますので、 興味のある方はどうぞ。

 [奥の細道]室の八島の段で道連れの曾良が、室の八島とは神社(の境内一帯) のことですと芭蕉に紹介しています。どういうことかと言うと、江戸で神道を学んでいた曾良は 神社 に騙されたんです (註13) 。曾良は、言い換えれば神社は、室の八島を当神社(の境内一帯)とし、 祭神・木花咲耶姫(このはな(の)さくやひめ)の故事に絡めてその由来を説明していますが [奥の細道]、そもそも木花咲耶姫がこの神社に関係してくるのは、室の八島が歴史上に 登場して来た時代・平安時代よりずっと後の1600年代、すなわち近世です。 (補足説明)
と言うわけで、室の八島が神社であるなどとは、馬鹿馬鹿しくて 全く話になりません。・・・ということで、こんな馬鹿馬鹿しい話は どうでもよいことで、

 実は、「室の八島の段」というたったの数行には、上記「木花咲耶姫がこの神社 に関係してくるのは近世です。」に関連して、「えっ、近世の神社にそんな重大な 事件が起きていたのか!」が書かれており、[奥の細道]は貴重な証拠史料なんです。 それは解読して分かったことですが、このたったの数行はそれほど奥が深いんです。
ということで、近世の神社に起きた重大な事件に興味のある方は是非読んでみてください。 筆者のように神社の歴史を全く知らない者には、「えっそんなことがあったのか」 と驚くような話が出て来ます。後で調べてみましたが市販の本でこんな事を書いてるものは 見つかりませんでした。 (註14)

なお、[奥の細道]「室の八島の段」についての筆者(この私)の解読結果を知りたい方は、
第4章 近世室の八島 の
第3節 神社縁起室の八島 (または[奥の細道]室の八島)
を参照してください。




旅への入り口
ここから本文が始まります。




その他の歌枕
江戸時代までに書かれた文献史料(古文書)を科学的に解析すると、次のことが分かる。

あその河原の川とは、おそらく渡良瀬川のことでしょう。
みかもの山の「みかも」は、土地の名前なのか?山の名前なのか?分からない 。
なお、現在の三毳山(みかもやま)に三毳の漢字らしい文字を当てはめたのは、江戸時代後期に 書かれた[下野国誌]等の地誌の著者達である。そして漢和辞典を調べても「毳」 (音はセイ、ゼイ、訓は うぶげ・体毛・獣毛)に「かも」の音や訓は無い。

さしも草はヨモギではない。
・さしも草の伊吹山は、近江・美濃の境なる伊吹山(1,377m)にはあらず。 と言って下野国の山でもない。
・もともと下野国には、伊吹山という名前の山もしめじが原という名前の場所も 存在せず。

・栃木県那須町芦野の遊行柳(ゆぎょうやなぎ)は、こんな所で西行は「道のべに −清水流るゝ−柳かげ−しばしとてこそ−立ちどまりつれ」の和歌を詠んでいない。
なお西行の和歌に関連付けられた芦野の歌枕は「道の辺清水(みちのべしみず)」でした。 柳などという草木は歌枕にはなれません。
・謡曲・安達が原/黒塚の鬼婆は、平安時代には存在しなかった。
・源 融(みなもとのとおる、河原左大臣、平安時代の貴族)と虎女(とらじょ?)との しのぶもぢずり伝説は松尾芭蕉の[奥の細道](1702年刊)より後に 作られた話である。
・正岡子規が言う。「宮城県の末の松山は擬(にせ)名所である。」
栃木県の歌枕
あその河原(安蘇の 河原)、 みかもの山(三毳山)、 ニ荒の山、 黒髪山、 山菅の橋、 那須
栃木市の歌枕
しめじが原、 さしも草の伊吹山、 (さしも草)、 しわぶきの森
[奥の細道]の歌枕
遊行柳黒塚(安達が原)(しのぶもぢずり )末の松山 平泉

栃木県の郷土史研究家様へ研究テーマの提案
[下野風土記]の編著者は誰か?
[下野風土記]の三毳の謎
「道の辺清水」の謎 ([曾良旅日記]の(考察)参照)





リンク集・その他
栃木市
「室の八島」で「キーワードでさがす」してみてください。「室の八島」と名前の付くもの は一件もヒットしません。 唖然。
栃木市 観光協会
「室の八島」で「キーワード検索」しても、一件もヒットしません。  茫然。
左の二件の例から、栃木市民の「室の八島」に対する認識が分かります。
   
スポーツの順位ルール
何?これ
現在の エト とは、漢字で60と書いて2と読ませ12を意味する。もうムチャクチャです。 最近よく聞く おかしな言葉
「STAP細胞」 問題 って なぜあんなことが起きたの? 「ご苦労さま」と「お疲れ さま」との使い分け 夏くればって?
各季節はいつからいつまでなの?
1300年代
〇〇世紀か? ××××年代か?
牛若丸と弁慶の出会い
♪京の五条の橋の上 ?
源頼政の鵺(ぬえ)退治
まるで鵺のような奴だ。
真珠湾攻撃 は、戦争行為ではない。 日本のトマト
「クッキング・トマト」でもない、「サラダ用トマト」でもない、ありゃ 何用なの?
東京における今旬の最高気温の平年値
「今週」「今月」が有るなら「今旬」が あってもいいでしょう。

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