歌 集 | 作成年 | 歌 人 | 生没年 | 和 歌 | |
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古今和歌六帖 | 976-982? | 読人不知 | 下野や−室の八島に−立つ煙−思ひありとも−今こそは知れ | ||
大江朝綱 | 886-957 | 下野や−室の八島に−立つ煙−思ひありとも−今日こそは知れ | |||
惟成集 | 藤原惟成 | 953-989 | 女に遣しける 風吹けは−室の八島の−夕煙−心の空に−立ちにけるかな | ||
実方集 | 藤原実方 | 958?-998 | いかてかは−思ひありとも−知らすへき−室の八島の−煙ならては | ||
実方集 | 藤原実方 | 958?-998 | この頃は−室の八島も−盗まれて−思ひありとも−えこそ知らせね | ||
小大君集 | 小大君 | 実方の中将人のがりやらむとてためたふ(為任?)の君にかくいはむはいかがといひ
ける歌 いかでかは−思ひありとは−知らすべき−室の八島の−煙ならでは | |||
小大君集 | 小大君 | をかしなどいひて為たふの君わが懸想する人のがりやりてけり女も聞きてわらふ程に わたりければ 女 此の頃は−室の八嶋も−盗まれて と云ひければ えこそはいは ぬ−思ひながらも | |||
続後拾遺 | 源重之女 | 1000年頃の人 | 人を思ふ−思ひを何に−たとへまし−室の八島も−名のみなりけり | ||
相模集 | 相模 | 998?-1056〜 | なそもかく−思ひ絶えせぬ−身なるらむ−室の八島は−ここならねとも | ||
範永集 | 藤原範永 | 993?-1070〜 | うちいでても−かいこそなけれ−下野や−室の八島と−人も言はねば | ||
範永集 | 藤原範永 | 993?-1070〜 | 知られてぞ−思ひはまさる−下野や−室の八島と−人の言はねば | ||
狭衣物語 | 1080頃 | 源頼国女 | かくばかり−思ひ焦かれて−年経やと−室の八島の−煙にも問へ | ||
新拾遺集 | 1364 | 大江匡房 | 1041-1111 | すけしげがむすめを云ひ渡りけるに下野守よしつな(源義綱?)に逢ひぬと聞きて云
ひ遣しける 煙立つ−室の八島に−あらぬ身は−焦かれしことそ−くやしかりける | |
堀河百首 | 1105-1106 | 隆源 | 〜1086-11 05〜 | 初逢恋 東路の−室の八島に−思ひ立つ−今宵ぞ越ゆる−逢坂の関 | |
堀河百首 | 1105-1106 | 永縁 | 1048-1125 | をのやまに−煙絶えせぬ−炭窯を−室の八島と−思ひけるかな | |
内大臣家歌合 | 1118 | 摂津君 | 絶えす焚く−室の八島の−煙にも−なほ立ちまさる−恋もするかな | ||
散木奇歌集 | 源俊頼 | 1055-1129 | さらひする−室の八島の−こととひに−身のなりはてむ−ほとを知るかな | ||
散木奇歌集 | 源俊頼 | 1055-1129 | 煙かと−室の八島を−見しほとに−やかても空の−霞みぬるかな | ||
散木奇歌集 | 源俊頼 | 1055-1129 | 田上にて、船にてやしまという所にて霧のいふせかりければよめり 川霧の−煙と見えて−たつなへに−波わけかへる−室の八島に |
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田多民治集 | 藤原忠通 | 1097-1164 | 立ち昇る−煙ばかりを−しるべにて−訪ねぞ来つる−室の八島に | ||
為忠家初度百首 | 1134 | 藤原俊成 | 1114- 1204 | かへるさは−煙や宿の−しるへなる−室の八島の−あまのつりふね | |
為忠家後度百首 | 1135 | 源頼政 | 1104-11 80 | おもしろき−室の八島の−花桜−いかて煙に−煤けさるらむ | |
千載集 | 1187 | 藤原俊成 | 1114-1204 | いかにせむ−室の八島に−宿もかな−恋の煙を−空にまかへむ | |
長秋詠藻 | 1178 | 源師仲 | 1116-1172 | 思ひやれ−室の八島に−しほたれて−煙になれし−袖のけしきを | |
久安百首 | 1150 | 藤原清輔 | 1104-1177 | 崇徳院に百首の歌奉りける時 朝霞−深く見ゆるや−煙立つ−室の八島の−わたりなるらむ | |
久安百首 | 1150 | 藤原親隆 | 1099-1165 | 降る雪に−そことも見えぬ−東路は−けふるや室の−八島なるらむ | |
風情集 | 藤原公重 | 1118-1178 | 草の葉は−萌ゆ(燃ゆ)とも見えで−いかなれば−室の八島に−煙立つらん | ||
平治物語 | 1160年下野配流 | 藤原成範(成憲) | 1135-1187 | 我かために−ありけるものを−下野の−室の八島に−絶えぬ思ひは | |
別雷社歌合 | 1178 | やへふかく−のもせの霞−立ちにけり−いつくか室の−八島なるらむ | |||
治承三十六人歌合 | 1179 | 我かために−ありけるものを−東路の−室の八島に−絶えぬ煙は | |||
千載集 | 1187 | 源行頼 | 1170,80頃の人 | 摂政、右大臣に侍りける時、百首歌よませ侍りけるに、五月雨の心をよめる さみたれに−室の八島を−見渡せは−煙は波の−上よりそ立つ | |
千載集 | 1187 | 藤原顕方 | 1100-1150頃の 人? | 室の八島をよめる 絶えす立つ−室の八島の−煙かな−いかに尽きせぬ−思ひなるらむ | |
御室五十首 | 1198-1199 | 藤原家隆? | 11 58-1237 | 立ち昇る−煙と(orも)雲に−なりにけり−室の八島の−さみたれのそら | |
正治初度百首 | 1200 | 惟明親王 | 1179-122 1 | わきていろの−深く見ゆるや−煙立つ−室の八島の−霞なるらむ | |
小侍従集 | 小侍従 | 1120頃-1202〜 | 夏くれば−室の八島の−里人も−なほ蚊遣火や−思ひ立つらむ | ||
千五百番歌合 | 1202 | 三宮 | 物思ふ−心(or涙)のうちに−宿り来ぬ−富士の高嶺も−室の八島も | ||
千五百番歌合 | 1202 | 藤原雅経 | 1170-122 1 | 昔より−立たぬ煙の−寂しきは−室の八島の−冬の夕暮れ | |
拾遺愚草 | 1216 | 藤原定家 | 1162-1241 | たくふへき−室の八島を−それとたに−知らせぬ空の−八重霞かな | |
拾遺愚草 | 1216 | 藤原定家 | 1162-1241 | 暮るる夜は−衛士の焚く火を−それと見よ−室の八島も−都ならねは | |
続後撰集 | 1251 | 藤原定家 | 1162-1241 | 下野国に罷りける人に 立ちそひて−それとも見はや−音に聞く−室の八島の−深き煙を | |
歌合 | 1219 | すくもたく−室の八島の−夕煙−むせふ心を−人に知らせよ | |||
金槐集 | 1213 | 源実朝 | 1192-1219 | なかむれは−寂しくもあるか−煙立つ−室の八島の−雪の下もえ | |
拾玉集 | 慈円 | 1155-1225 | あづまには−絶えぬ煙を−たよりにて−室の八島や−先霞むらん | ||
拾玉集 | 慈円 | 1155-1225 | 秋霧も−心あらなむ−煙ゆえ−人に知らるる−室の八島は | ||
拾玉集 | 慈円 | 1155-1225 | 夜な夜なの−人の思ひを−思ひ知れ−むろの八島の−曙の空 | ||
日吉社撰歌合 | 1232 | 藤原隆祐 | 〜1190- 1251〜 | まてしはし−煙の下に−永らへて−室の八島も−人は住みけり | |
洞院摂政家百首 | 1232 | 藤原基家 | 1203- 1280 | 立ち渡る−霞もやすく−湧きてまし−室の八島の−夕へならねと | |
壬二集 | 藤原家隆 | 1158-1237 | 守覚法親王の家の五十首の歌に 立ち昇る−煙も雲と−なりにけり−室の八島の−さみたれのそら | ||
壬二集 | 藤原家隆 | 1158-1237 | 文治三年百首歌(1187年) みになして−室の八島を−思ふには−波の下より−煙やは立つ | ||
壬二集 | 藤原家隆 | 1158-1237 | まかへはや−室の八島の−夕煙−霧立つほとも−見えぬ思ひに | ||
壬二集 | 藤原家隆 | 1158-1237 | 我か恋を−何に譬へむ−まかふへき−室の八島も−煙絶えつつ | ||
後鳥羽院遠島百首 | 後鳥羽院 | 1180-1239 | よそふへき−室の八島も−遠けれは−思ひの煙−いかにまかへむ | ||
後鳥羽院遠島百首 | 後鳥羽院 | 1180-1239 | たとふべき−室の八島も−遠ければ−思ひの煙−いかがまがへむ | ||
後鳥羽院御集 | 後鳥羽院 | 1180-1239 | 煙立つ−室の八島は−知らねとも−霞そ深き−をのの山里 | ||
新撰和歌六帖 | 1243 | 藤原信実 | 1177-1265 | はるかまて−さこそ煙の−たたひけは−心のうちの−室の八島は | |
続古今集 | 1265 | 藤原信実 | 1177-1265 | あしやにて時雨を聞きて さらにまた−思ひありとや−しくるらむ−室の八島の−浮雲の空 | |
宝治百首 | 1248 | 俊成女 | 1171?-1254? | 宝治二年、百首の歌に、寄煙恋 いかなりし−恋の煙の−消えやらて−室の八島の−名を残しけむ | |
宝治百首 | 1248 | 藤原忠定 | 1188-1256 | 百首の歌奉りし時、寄煙恋 恋しなは−室の八島に−あらすとも−思ひのほとは−煙にも見よ | |
宝治百首 | 1248 | 衣笠家良 | 1192-1264 | 身に余る−思ひを何に−比へまし−室の八島も−煙こそ立て | |
続後撰集 | 1251 | 蓮生(宇都宮頼綱) | 返し 思ひやる−室の八島を−それと見は−聞くに煙の−立ち止さらむ | ||
範宗集(郁芳三品集) | 藤原範宗 | 1171-1233 | 我ならで−たがなかよりか−燃えそめん−室の八島の−よよの煙は | ||
影供歌合 | 1251 | 消えねたた−室の八島の−夕煙−思ひありとも−人に知らすな | |||
為家五社百首 | 1260 | 藤原為家 | 1198-1275 | 名に立てる−室の八島も−よそならし−胸の煙を−空にゆるさは | |
為家五社百首 | 1260 | 藤原為家 | 1198-1275 | いたつらに−室の八島を−焚く火とも−見えぬ煙は−知る人もなし | |
夫木抄 | 1310年頃 | 藤原為家 | 1198-1275 | 夏草の−露けき中の−しもつけに−室の八島の−事や問はまし | |
新和歌集 | 1260年前後 | 藤原時朝(時明) | 1203-1265 | 右大弁光俊朝臣鶴学社にて講じ侍りける十首歌に 煙たつ−室の八島の−近ければ−我住むかたや−霞そむらむ | |
新和歌集 | 1260年前後 | 藤原基綱女 | 煙の近きほどに立つを、むづかしなど人の申ければ 今更に−煙を何に−いとふらむ−室の八島の−近き辺りに | ||
新和歌集 | 1260年前後 | 藤原親朝(塩谷周防守) | 1236-1281 | 室のやしまへまからんと、人に約束し侍りけるが、さしあふこと侍りて申つかはしけ
る 煙立つ(orなき)−室の八島と−思はずば(orせば)−君のしるべに−ならましものを( or我やたたまし) | |
続拾遺集 | 1279 | 藤原親朝 | 1236-1281 | むろの八島見にまかりける人のさそひ侍りけるにさはる事ありて申しつかはしける 煙なき−室の八島と−思ひせは−君かしるへに−我そ立たまし | |
新和歌集 | 1260年前後 | 宇都宮景綱 | 123 5-1298 | 室の八島見にまかりてよみ侍りける 絶えず立つ−煙や室の−八島もる−国つ御神の−誓なるらむ | |
新和歌集 | 1260年前後 | 源行宗 | 昔より−絶えせぬものは−下野や−室の八島の−煙なりけり | ||
新和歌集 | 1260年前後 | 安部資氏 | よそに聞く−室の八島を−来てみれば−煙ばかりぞ−名には立ける | ||
新和歌集 | 1260年前後 | 清原成朝 | 世と共に−思ひの煙−絶えず立つ−室の八島や−我が身なるらむ | ||
弘長百首 | 1261 | 藤原基家 | 1203-1280 | 月残る−室の八島の−明け方に−思ひありとや−千鳥鳴くらむ | |
続古今集 | 1265 | 寂蓮 | 1139?-1202 | おなじ心を 絶えず立つ−室の八島の−煙たに−下はまことの−思ひやはある | |
歌枕名寄 | 1303頃 | 飛鳥井雅有 | 1241-130 1 | 恋の歌の中に 煙立つ−室の八島や−いつくそと−問へな思ひの−行方知らせむ | |
夫木抄 | 1310頃 | 前中納言雅具 | 心無き−いはきの中の−思ひたに−室の八島の−煙とそなる | ||
夫木抄 | 1310頃 | 親隆 | 降る雪に−そことも見えす−東路は−煙や室の−八島なるらむ | ||
続千載集 | 1320 | 藤原宗秀 | 霧をよめる 霧晴るる−室の八島の−秋風に−残りて立つは−煙なりけり | ||
新拾遺集 | 1364 | 法印守遍 | 十住心の中に、覚心不生心の心を 跡も無き−室の八島の−夕煙−なひくと見しや−迷ひなるらむ | ||
宗良親王千首 | 1377 | 宗良親王 | 1311-138 9以前? | 一つにや−煙の末は−なりぬらむ−室の八島も−みの焚く火とて | |
沙玉集 | 後崇光院 | 1372-1456 | ところから−室の八島の−秋の月−曇りかちにも−立つ煙かな | ||
草根集 | 正徹 | 1381-1459 | 寄煙恋 した絶えぬ−思ひを室の−八島もる−身こそ煙の−主なりけれ | ||
草根集 | 正徹 | 1381-1459 | 寄煙恋 立つとても−かひなし室の−八島もる−神たにしらぬ−胸の煙は | ||
草根集 | 正徹 | 1381-1459 | 寄煙恋 尋ねても−問はぬを室の−八島もる−我と思ひの−煙立てつつ | ||
黄葉集 | 烏丸光広 | 1579-1638 | 室のやしま見にまかりけるに、雨のふりければ 雨雲の−空にまかひて−けふぞ見る−室の八島に−絶ぬ煙を | ||
為景卿紀行 | 冷泉為景 ? | 1612-1652 ? | 賑はへる−煙やここに−立ちまさる−民の竈を−室の八島に | ||
漫吟集 | 契沖 | 1640-1701 | 蚊遣火の−煙をこむる−賤か家は−室の八島の−夏の夕暮れ | ||
漫吟集 | 契沖 | 1640-1701 | 東野の−萩の焼原−かすむるは−室の八島の−煙とぞ見る | ||
漫吟集 | 契沖 | 1640-1701 | 見せばやな−室の八島に−こむれとも−思ひのほかに−あまる煙を | ||
室八島(日光紀行) | 1722年旅 | 石塚倉子 | 1686-1758 | 名に立てる−煙やいづこ−春深く−室の八島は−霞渡りて | |
室八島 | 1756 | 石塚倉子 | 1686-1758 | 下毛野の名ところにて、春立心をよめと人のいへりければ 春くれば−室の八島の−煙さへ−今朝や霞に−立ちかはるらん | |
下野国誌(下野歌枕) | 1850 | 観山法師 | 名に立てる−室の八島は−春雨の−そぼ降る日すら−けぶる青柳 | ||
下野国誌(下野歌枕) | 1850 | 久米千寿 | 立昇る−室の八島の−薄霞−絶たえて久しき−煙みすらむ | ||
下野国誌(下野歌枕) | 1850 | 深見三橋 | なかなかに−煙も立たで−涼しきは−室の八島の−清水なりけり | ||
下野国誌(下野歌枕) | 1850 | 源綾彦 | かはかりは−昔も煙−立たじかし−室の八島は−霧こめてけり | ||
扶桑名所名物集(下野) | 1859 | 大芦葦園 | 煙立つ−室の八島も−春去れば−いづこと問はん−霞こめつつ | ||