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しょっちゅう
「しょっちゅう」って、漢字の熟語のように聞こえるんだけど、漢字でどう書くんだろう って、疑問に思ったことはありませんか?
それで、インターネットで調べてみました。

「しょっちゅう」とは、「初中後(しょちゅうご)」が変化してできた言葉。漢字で書く とすれば「初中」
「初中後」とは中世(ざっと鎌倉・室町時代のことだよね?) 芸道論の言葉で、初心者から達人の域に達するまでを三段階にわけて示すもので あったが、近世(江戸時代って言い換えてもいいよね?)には「初めか ら終わりまでずっと」の意味に転じた。
その頃から、「後」が省略された「初中」も使われるようになり、近代(明治か ら第二次大戦までのことだよね?)以降に「しょっちゅう」が一般で使われるよ うになった。

(栃木市の観光資源)
2010年、平成の大合併前の旧栃木市が観光資源を調査し、70件の観光資源を 取り上げました。その70件の中に「じゃがいも入り焼きソバ」は有りましたが、 「室の八島」というタイトルはありませんでした。「室の八島」の観光資源としての価値は、 「じゃがいも入り焼きソバ」以下であると栃木市民から見なされているんです。
「じゃがいも入り焼きソバ」の本場は、同じ両毛線沿線の佐野・足利辺りで、栃 木市じゃないと思ってんですけどね。(足利市民は、ちゃんと理由を示して、「ポテト 入り焼きそばの発祥の地は足利市だ」と言ってます。)

1)観光資源として「じゃがいも入り焼きソバ」が上がってくるなら、なぜ「いもフライ} (ポテトフライ)(下の註)が観光資源として上がってこないの?

(註)いもフライ(ポテトフライ):蒸かしたジャガイモを一口大に切って串に刺し、小 麦粉とパン粉などで作った衣をつけ、油で揚げた「おかず」。つまり主食の糖質に対して、 「おかず」も糖質にする代表例です。メタボな人が増えるわけだぁ。

この料理は全国的に存在するようですが、とくに両毛線沿線の人達に好まれているようで す。これも栃木市より佐野市の方が有名だけどね。

2)それより私としては「芋串」(いもぐし、下の註)を栃木市の名物にしたいね。昔、 巾着山の登り口の店で売られていましたが、とてもうまかったです。

(註)芋串:ゆでたり蒸したりした里芋の皮をむき、串に刺して焼き、味噌だれを塗った 料理。栃木県日光、那須地方の郷土料理。(インターネットのホームページより)

この料理を群馬県でも「芋串」って言いますね。「芋串」って単なる「芋田楽(いもでんがく)」 (註)のようですけどね。
(註)芋田楽: サトイモを蒸して串に刺し、味噌をつけてあぶった料理。
(ですから「栃木県日光、那須地方の郷土料理」なんかではありません。)

「芋田楽」には”隠語としての卑猥な意味”があるので、それを嫌って「芋串」と言い換 えただけじゃないの。

料理名につく「田楽」は「食材を串に刺した料理」を意味するんです(二本差しが怖くて 田楽がくえるけぇ)。なお「おでん」の「でん」は、この意味の「田楽」の略語なんです。 今では串に刺してない「おでん」の具 の方が圧倒的に多いですが。
なお関西では、「おでん」の事を「関東煮(かんとうだき)」と言います。語源は諸説有る ようですが。
そう言えば栃木市では、串に刺したコンニャクに甘くした味噌を塗ったものだけを「味噌おでん」 と呼んでましたね。

(調べたら「ポテトフライ」を「芋串」と呼ぶ地方もあるようです)

後日、この70件の観光資源調査結果を再確認したら、歌枕の「室の八島」は 有りませんでしたが、栃木市に存在しない歌枕の「しめじが原」が 取り上げられてるんですね。
ところで、歌枕の「しめじが原」が取り上げられるなら、なぜ歌枕の「伊吹山」と 「しわぶきの杜」とが取り上げられないんでしょう。これらは、いずれも 栃木市指定文化財の史跡なんです。かつ、「伊吹山」なんか百人一首の歌に 取り上げられるほどの山ですよ。
これらのことから栃木市民が栃木市指定文化財や歌枕についてはいかに呆れるほどの無知で あるかがよく分かりました。

(質問の答え)
栃木市は、史料A[奥の細道]と史料B[下野国誌]との記述を根拠にして、室の八島の 場所を特定しています。
そうして栃木市のWSには、「室の八島と呼ばれる『この地』とは、大神神社の境内のこ とであり(根拠は[奥の細道])、かつ大神神社と関係ないこの辺り一帯の土地のことで ある(根拠は[下野国誌])」と書いてあります。
しかし大神神社と関係があり、かつ大神神社と関係ない場所なんてのはこの世に存在しま せん。そのこの世に存在しない場所が栃木市には存在すると栃木市のWSには書いてあり ます。

何でこんなことになったの か?
何のことはない、「室の八嶋とは神社である」っていうのは解説などでなく、単 に当の[奥の細道]にそう書いてあると言ってるだけである。

(” ”文字は時間軸に関係する用語)
 ”江戸時代の”[奥の細道]注釈書 (註1) を調べてみたらそこにヒントがありました。
”初期の注釈書の頃”は、[奥の細道] 室の八島の段 に何が書いてあるか、それを理解するための知識がある程度世間に普及してたんですが、 ”その後”その知識がなくなり、その結果[奥の細道]に書いてあることが文言そのまま に受け取られて「室の八島とは神社である」となるようです。そして「室の八島とは神社 である」は、”その後”一度も検証されることなく”現在の[奥の細道]解説書にまで” ”代々受け継がれている”ようです。

 つまり代々の[奥の細道]注釈書・解説書の著者が次のように言う。 「先に書かれた[奥の細道]注釈書・解説書が皆『室の八島とは神社である』と言ってる ので間違いないだろう。そしてもし間違っていてもそれは俺の責任じゃねえ。」 という訳です。そんな無責任な!と思うでしょう。だって、歌枕の室の八島とは何かって、 [奥の細道]注釈書・解説書なんかで調べるべきもんじゃないでしょう。でもこれが[奥 の細道]注釈書・解説書の実体です。

 江戸時代には、室の八島の段に何が書いてあるか、ある程度分かる人が庶民の中にいた ようですが、現在では江戸時代の知識に疎くなってそんな人は一人もいなくなりました。 そして現代人にとって室の八島の段は非常に難解なものになっています。
 室の八島の段 にいきなり『コノシロという魚を禁ず』と出てきても、我々現代人には何 のことやらさっぱりわかりませんが、芭蕉の時代には「あぁ、これこれに関連する話だな」 とピンと来る人は巷に結構居たんです。そして芭蕉はそれを知っていたから『( この神社では or この神社でも?、現在)コノシロという魚を禁ず』だけで、そ れ以上の説明を省略したんです。(もし、「読者は理解できないな」と思ったら 、得々と説明しようとするのが著者の心理です)

 巷のこういう人達は『(富士山の神が、この場所で)無戸室(うつむろ)に入りて焼た もう誓いのみ中に、火火出見の命生まれ給いしより(この場所を)室の八嶋と申す。』 (奥の細道) をそのまま信じたかどうか?浅間神社の祭神である富士山の神・木花咲耶姫に ついては、室の八島を舞台としたコノシロの逸話は聞いていました。しかし、同じく室の 八島を舞台とした出来事なのに[奥の細道]に有る『無戸室・・・室の八島と申す。』 なんて話は聞いたことがありません。「無戸室云々とはなんじゃこれは?」といぶかった人 がいたかもしれません。また「そもそもコノシロの話や無戸室の話など富士山の神の逸話って ホントの話なのか?」と思った人もいたかもしれません。あなたは神様の逸話 を信じますか?[奥の細道]愛読者の殆どは信じて疑わないようですが。

 最初の頃の[奥の細道]注釈書には、富士山の神のこのコノシロの逸話に関する記述が あったんです (註2) 。のちに(と、言いたいんですが、実は約20年後で、それほど後の注釈書ではないんです が)「室の八島とは神社である」と言い出した注釈書 [奥細道菅菰抄] (1778年)にも コノシロの話 が引用されていますが、それは富士山の神の逸話ではありません。その頃には[奥の細道 ]に出てくるコノシロ云々が何の話なのか?分からなくなっていたようです。な お[菅菰抄]にあるコノシロの話も富士山の神のコノシロの逸話もルーツが同じなんで、 両者は主人公が違うだけで話の展開はそっくりです。

[日光名勝記]
[日光名勝記](1685年旅)当時から、この池の八つの小島それぞれに小祠は祭られ ておりましたが、[日光名勝記]は、『小嶋のごとくなるもの八あり』と小島の小祠には 触れておりません。
小祠が室の八島と関係が有るなどと馬鹿なことを考えるのは現代人だけで、江戸時代にはそ んな人は一人もいなかったんです。


素人によるもの
研究したのは、こういうことには全くの素人である、かつての技術屋です。
       (『技術屋』をもっと詳しく言うと、私は、かつて「メーカーの研究屋」 でした。)
でもこういう研究は、文科系の人間より理科系の人間の方が得意かもしれませんね。

(2015−2016年加筆)
私は、もっと細かい職業分類で言えば、かつて「プロの実験屋」でした。

話がずれますが、「プロの実験屋」から見ると、2014年の理化学研究所の「STAP 細胞」問題について、
「STAP細胞の研究者である小保方さんが、なぜあんな結論を導き出したか?」、「そ の上司が、何故自殺しなければならなかったか?」について、推測できます。
また、STAP細胞問題に対する理化学研究所の対応についても批判できます。
(但し、そんなことは単に「プロの実験屋」の見解にすぎません。「プロの実験 屋」である私から見ると、「STAP細胞問題」は、誰にでも理解できる、すごく単純な 話になっちゃいます)

プロの実験屋から見た「STAP細胞」問題
テレビニュースを見ていたら、理化学研究所は、小保方さんの論文について、「ちゃんと 研究に基づいて、この論文は書かれたのか?」を一所懸命検証しようとしてました。
(理化学研究所のテレビ会見で、「この調査は、『小保方さんの研究がちゃん とまともに行われたか?否か?(つまりSTAP細胞はホントに存在するのか?)を検証 しようとするもの』ではありません。」とはっきりと言ってました)
しかし、そんな些細なことは、公表すべきことでないし、理化学研究所にとってどうでもいい ことです。

理化学研究所がやらなければならない、最も重要でかつ一番最初にやらなければならない のは、「STAP細胞はホントに存在するのか?否か?」の「確認」なんです。
「そんなの当たり前だ」って、あなただって思うでしょう。でも、その当たり前のことが 理化学研究所はわかってないんです。だから確認テストを開始するのがものすごく遅かっ たでしょう。
(元実験屋である私には、この問題の確認テストはこうやるべきだという考えが ありましたので、「いつ確認テストをするのか?そしてどういうやり方で確認テストをす るのか?」と、ジリジリしてイライラしどおしでした)

小保方さんとその上司(笹井氏)は、STAP細胞がホントに存在することを確認せずに 、学会発表し、一般公開しちゃったんです。あの上司にとって自殺以外の選択肢はな かったろうと思います。

「STAP細胞は、ホントに存在するのか?否か?」の「確認」のことを、研究屋の技術用 語で「再現性の確認」と言い、実験屋の言葉で「再現テストの実施」と言います。

再現できないような実験結果は、世の中に役立てることができません。当然ですね。
と言うか、実験結果が再現できないってことは、研究がまだ未完成だってことなんです。 ですから、実験結果が再現できるか否か、それを確認すること(つまり「再現テスト」を 実施すること)は非常に重要なんです。
(例えば、実験して「STAP細胞」の作り方を発見・発明したとします。とこ ろで一回目の実験では「STAP細胞」は作れましたが、二回目の実験では「STAP細 胞」は作れませんでした。これを「実験結果に再現性が無い」といいます。
そして、その原因は、「STAP細胞を作る条件が十分把握されていない」ため(一回目 の実験の時にSTAP細胞ができたのは、たまたま製造条件が合っていたから)、つまり 「研究が未完成である」ってことです。
そこで、研究が完成したことを確認するために、同じ実験を繰り返して実施し、実験結果 に再現性があるか?否か?を確認することが重要になってきます。これを「再現性の確認 」あるいは「再現テストの実施」と言います)

再現性を確認することは、研究屋・実験屋が心得ておくべき基本事項です。ですから研究 屋・実験屋は、つねに「再現性」を意識しながら研究・実験してるんです。
iPS細胞を開発してノーベル賞を受賞した山中伸弥氏も言ってます。
「生命科学においては最初の実験に成功したのち、@自ら何度も再現性を検証し、 A論文として投稿し、・・・」

STAP細胞の発見・発明に関する実験を、
実験1):STAP細胞を作製する過程(すなわち、STAP細胞が出来たことを推測させ る細胞現象が起きた事を確認する過程)と、
実験2):その細胞が万能細胞であることを確認する過程
とに分けて考えた時、1)→2)と一貫してやった実験は一回分しかなかったでしょう。
おそらく、マウスだけの実験で今回の結論を導き出したんでしょう。もし動物の 種類を変えて実験していたら「1)→2)と一貫してやるべき実験」が一回だけで済むはずが ないので。
(なお、「STAP細胞」の発見・発明時には、実験1)を小保方さんが、実験2) を当時の上司である(?)若山氏が担当してたようです)


そしてその一回分の実験において、1)から2)に渡すべき細胞として、小保方さんは誤って STAP細胞でなくES細胞を渡しちゃったんです。 (そしたら当然「STAP細胞は万能細胞である」って結果が導き出されるわね。)

30才程度の若い研究者である小保方さんは、「STAP細胞」というノーベル賞級の発 見・発明ができたと舞い上がってますから、実験室内に保管してあるES細胞のサンプル もSTAP細胞のサンプルに見えちゃったんです。どういうことかと言うと、要するに「S TAP細胞」以外のことは、頭からすっぽり抜け落ちちゃってたということです。
(STAP細胞のサンプルとES細胞のサンプルとを取り違えるって、おそらく 同じ保管庫の中に保管してたんでしょう。非常に重要なサンプルを他のサンプルと取り違 えるなんてことは、普通考えられません。
実はもっと後になって起きた事故ですが、「同じ保管庫の中に保管していた」ということ を原因とする医療事故が2017年に起きています。)


もし、小保方さんが『再現性の確認』の意義をよく理解して、1)→2)の一貫した実験を2 回やっていれば、2回ともES細胞を渡してしまうなんてことは、よほどのミスがないか ぎりありまん。
(ノーベル賞級の研究なら、必要な再現テストの回数は、1回どころではないで しょう。「実験が間違いでした」となったら大事(おおごと)ですので、かなり慎重に研 究を進めなければならないでしょう)

小保方さんの上司は、ノーベル賞級の研究であると信じた小保方さんの研究において、よ くよく考えてみると『再現性の確認』が行われていなかったことに気づいたから自殺した んてす。そして、彼は遺言で、「再現テストして、STAP細胞が存在することを明らか にしてください」というような内容を、言い残しました。

「再現性を確認する」という、実験を進める上での基本事項について、小保方さんの理解 が不十分だったことは間違いありません。
(小保方さんの口からは、「再現性」「再現テスト」という言葉は一度も出て来 なかったような気がします。だから、私がここで『「STAP細胞は、ホントに存在する のか?否か?」の「確認」のことを、研究屋の技術用語で「再現性の確認」と言い、実験 屋の言葉で「再現テストの実施」と言います。』などと「言葉の説明」をする必要が出て きたんだと思います)

ところで小保方さんは、インタビューに答えて「200回も再現テストして(『 再現テスト』なんて言葉は使ってなかったと思いますが)STAP細胞が出来た ことを確認している」というようなことを言ってましたが、改めてやった「再現テスト」で はSTAP細胞はできませんでした。これはおかしいですね。小保方さんは嘘をついてた んでしょうか?
恐らく違うでしょう。

再現テストにおいて
A:もし実験1)の段階で「この方法ではSTAP細胞はできない」という結果が分かった とすると、次のようなことでしょう。
「STAP細胞が出来たと判断する実験1)での判断基準」が、以前の実験と「改めてやっ た再現テスト」とで違ったからでしょう。研究内容・実験内容について外部から色々細か く批判されたので、「改めてやった実験1)の再現テスト」では、それらの批判に対応でき るように「STAP細胞が出来たと判断する基準」を変えたんでしょう。そしたら、新し い判断基準に合格するSTAP細胞はできなかったということでしょう。

B:もし実験2)までやって「この方法ではSTAP細胞はできない」という結果が分かった とすると次のようなことでしょう。
改めて1)→2)と連続して実験したら、STAP細胞はできなかったということでしょう。
(つまりこれが初めてやった「再現テスト」だったということです)

いずれにしろ、「200回した」のは、実験1)だけであり、1)→2)とやった実験は1回分 しかなかっただろうということです。

事件の後、小保方さんがこの事件について手記を書いてますが、その手記の内容について のテレビ報道によれば、その手記には、上司(自殺した笹井氏のことではないよう です)の罠に「はめられた」とか、上司に対する恨みつらみが綴られている由。
(あんな「STAP細胞」事件を起こしたら、小保方さんばかりでなく、小保方 さんを指導したその上司まで責任を取らされるので、その上司にとって小保方さんを罠に はめるメリットがあるとはとても思えないんですが)
(手記が出版された後、その上司は口をつぐんでいるようですが、
当然でしょう。あんな空想屋(小保方さん)の絵空事に対して、科学屋が科学的に対応し なければならない道理はサラサラありません。あんな空想屋のたわごとに対しては、社会 的に実害が出るまでは無視するのが大人の対応と言うものです)

このテレビ報道を聞くと、どうも小保方さんの頭は科学屋の頭ではないですね。上司の陰 謀(?)によって実験結果が変わるなんてことは有りません。きちんと再現テストをやっ ていれば、そんな陰謀は防げるんです。
(例えば、一回目の実験ではSTAP細胞が出来たのに、再現テストしたらST AP細胞はできなかったとなったら、なんかおかしいなって気づくんです。そして、もう 一回再現テストすれば、やはりSTAP細胞は出来ませんので、一回目の実験の際に何か おかしなことがあったなって分かるんです。そして結局、一からSTAP細胞の製造方法 を検討しなおさなければならないなということがわかるんです)
こんな手記は、タダでも読む気が起きません。
科学者が書く手記なら、自分のミスを冷静に分析して、「自分以外の人でも同様のミスを 犯す恐れがあります」と、他の研究者に警鐘を鳴らすような内容を書くべきなんです。
(でも小保方さんは、自分が犯した重大なミスの内容を理解してないようです ね)

結論としては、
「STAP細胞問題」が起きた一次原因は、
1)「再現性の確認の重要性」に対する小保方さんの認識があまかった。
2)小保方さんに「再現性の確認はだいじょぶですか?」と問い掛ける人が一人もいなかっ た。
の二点です。
(もし、上司からの「再現性の確認はだいじょぶですか?」の問いかけに対して 、小保方さんが「200回も再現テストして、STAP細胞が出来た ことを確認してい ます」などと答えたら、上司は、小保方さんが200回も再現テストしているわけがない ことを知ってますから、「再現性を確認するとは、そういうことではありません。こういう ことです」と正しく指導できたと思います。そしてSTAP細胞事件は起きなかったろうと 思われます)
そして、一次原因を引き出す二次原因の一つに、次の1)のようなことが有ったんでしょう。
1)STAP細胞が万能細胞であることを確認する作業が、他人に頼らざるを得ず、かつ繰 り返し依頼することを遠慮しなければならないほど手間のかかる作業だったんでしょう。 2)・・・

「STAP細胞」問題は、私のような門外漢には、このように「再現性の確認」「再現テ ストの実施」の観点から理解するのが、一番分かりやすいです。


2017年2月11日追記
今日の読売新聞朝刊によれば、
「NHKは、2014年7月放送のNHKスペシャル[調査報告 STAP細胞 不正の 深層]で、「小保方氏が別の万能細胞(ES細胞のこと)を不正行為で入手し、STAP 細胞を作製した疑惑がある。」と報道したそうす。」

アホか!
STAP細胞が存在しないことは、基礎研究の段階から次の実用化研究の段階に進めば、 すぐにばれてしまいます。そして、それを機に小保方さんの研究人生は永久に絶たれるこ とになります。
そんなことは小保方さんなら十分わかっています。ですから、小保方さんが、上記NHK スペシャルが言うような「不正」をするわけが有りません。小保方さんにはデメリットし かないんですから。  この件の真実は、私が上に書いた通りです。

2017年2月11日の読売新聞朝刊の記事は、BPO(放送倫理・番組向上機構)が、 「上記NHKスペシャルの内容には、小保方さんの名誉を傷つける人権侵害があった」と 認めたものですが、上に述べたようにNHKスペシャルに非が有ったのは明らかです。
NHKスペシャルの編集者は、上記の「不正の深層」が暴けると考えたようですが、ご冗 談を!
てめえの専門分野ならいざしらず、それからちょっとでも離れたら、てめえは「何も知ら ないただのバカ」。そのくらいわきまえとけ。
「餅は餅屋」。てめえが考える「不正の深層」が正しいか否かは研究者に訊け。すぐ教え てくれらあ。

解釈を誤る
室の八島の煙を水蒸気とみなして、室の八島の恋の歌を解釈している例が多々見られます が、後で解説しますように、それは全くの誤りです。

この研究が初めてでしょう
但し、素人である我々の目に留まらない学術論文は知りませんよ。市販の参考書レベルで の話です。

もっと古いでしょう
現存する和歌を解析すればわかるんです。

其名を得たり
かつて栄えた室の八島の町は、八島大臣が作った、あるいは発展させたものであると言い たいんでしょうか?八島大臣の名がどこから出てきたのか、口から出まかせの人物名では ないでしょうか? まさか屋島大臣(または八島大臣)と呼ばれた 平宗盛 (1147−1185年)のことじゃないでしょうね。平宗盛が室の八島に住んでた訳が ありません。

延喜式
967年施行。なお惣社が誕生したのはこれより後と考えられます。

大神社
延喜式に大神社の祭神の記載なし。なおいつの時代に付けられたのか知りませんが、オホ ムワとルビがあり、漢字とルビが一致せず。
なお、もしかしたら、大神社の大神(おおのかみ?)が神名なのかも知れません。

倭大物主櫛みか玉命
やまとおおものぬしくしみかたまのみこと。奈良県桜井市の大神神社の祭神。

替えられた
これは神社名が替わったんではありません。祭神が替わったんですから、神社そのものが 替わったんです。

小祠をお参りできるようにと作られたもので
つまり室の八島のミニチュアを作ろうとして作られたものではないんで。

橋を架け
元の大きな池の島には、橋は架けられておりませんでした。

作ってあるので
江戸時代に既にこの池の作り方を推理した人がいるんです。 [蝶の遊] 参照。

(大宮司邸の敷地)
2006年現在この屋敷の表札には「大宮司 ○○(苗字)」とあったが、大神神社の宮 司は太平山神社が兼務しているはず。何か変。この辺の事情は話を聞いていないのでよく わからず。
 ところでもしかしたら江戸時代、この大宮司邸を作るために小祠を祭った八つの小島を 潰さなければならなくなり、その代わりに、つまり小祠を祭った八つの小島を再現するた めに現在の小さな池を作ったんだろうか?現在の池は元の室の八島の池を再現しようとし て作られたものではない。小祠を祭った八つの小島のある池を再現しようとして作られた ものであることは間違いない。

イメージである
なぜここで「戦後の(イメージである)」と断っているかと言えば、室 の八島を説明するのに、「[奥の細道]にこう書いてあるから」などという資料は、[奥 の細道]解説書を除けば、戦前まではなかったのである。

かくもぐさ
[本草和名] および [和名類聚抄] によれば、「かくもぐさ」または 「かくまぐさ」とは、黄蓮(オウレン)の古名のようです。

オウレン : キンポウゲ科オウレン属の植物の一種。山林の樹下や高山帯の湿気の多い 日陰に自生する常緑の多年草。葉は根から直接出て、春に白い小花を咲かせる。根をオウ レン「黄連」といい、胃腸薬として用いる。

生薬・オウレン : 健胃、整腸薬として消化不良や下痢止めに用いる。

 オウレンは日陰の植物で、直射日光が強い所では葉が日焼けするため、寒冷紗(かんれ いしゃ)などで約50%に光量を制限する必要があります。また、晩秋には翌年の花芽の 形成が進むので寒風や凍結にはとくに注意し、雪の降らない地方でも、籾殻や藁などで保 温する必要があります。とのこと。

オウレンについては、ウェブサイトで色々調べましたが、オウレンと雨とが何故「縁語関 係」にあるのか、全く分かりませんでした。

縁語関係
一例として「和歌に『室の八島』を詠み込むときには、『室の八島の煙』のように、『室 の八島』に関連付けて必ずと言っていいほど『煙』も一緒に詠み込む。」と言うような関 係。
こういう場合に『室の八島と煙とが縁語関係にある』或いは『煙が室の八島の縁語である 』などと言う。

他人(ひと)の恋に水を差す
もちろん恋が火だから、他人の恋を邪魔するという意味で、「ひとの恋(=火)に水を差 す」という言い方ができるのである。

(註1) 木花咲耶姫の御子とは[奥の細道]に出てくる彦火々出見命に該当する神のことです。そ して[奥の細道]の旅で芭蕉らがこの神社を訪れた当時、この神社の祭神は木花咲耶姫に 替わっていましたが、彦火々出見命も配神として残っていたと考えられます。こういう歴 史があるので大神神社に替わった現在でも木花咲耶姫ばかりでなく、木花咲耶姫の3人の 御子達のうち彦火々出見命だけが配神として残っているんです。 大神神社

(註2) 当時は社殿が再建されておらず、有るのは、池中の八つの小島それぞれに小祠を祭った 大きな室の八島の池だけでした。木花咲耶姫の御子は「神社=室の八島の池」の 祭神だったんです。

(註3) 但し、「戻ってきた」ということにしないと御子の時代の縁起とのつじつまが合 わないので筆者(=この私)が勝手にそう言ってるだけのことであって、縁起では祭神は 昔から木花咲耶姫だったということになっていたんでしょう。木花咲耶姫は神様 になったんですから、戻ってきたと言ってもまだ富士山にも木花咲耶姫はいるんです。だ から『この(=室の八島の=この神社の)神は木の花さくや姫の神と申 して富士一体なり。』(奥の細道)なんです。(芭蕉は「富士の神と同体なり」 と言うべきところを、ひねって『富士一体なり』としたようです。普通「一体」とは言わ ないんです。だからと言って「富士同体なり」なんて言い方はありません)

(註4) 木花咲耶姫時代に作られたこの神社の縁起の内容が、曾良が芭蕉に話した中身なんです。 [奥の細道]にも「曾良の話はこの神社の縁起の説明である」とちゃんと書いてあるでし ょう。なお[奥の細道]当時のこの神社の縁起の内容は、この曾良の話(下記)にしか残 っておりません。

『この神は木の花さくや姫の神と申して富士一体なり。無戸室に入りて焼けたもう誓いの み中に、火火出見の命生まれ給いしより室の八嶋と申す。又煙を読み習し侍るもこの謂な り。將このしろという魚を禁ず』(「將このしろという魚を禁ず」までが曾良の 言葉です)

(註5) [奥の細道]で言えば『この神は木の花さくや姫の神と申して富士一体なり』と『將この しろという魚を禁ず』の部分(つまり室の八島の由来説明部分(次の註6)を除 く部分)が曾良の話の中心です。ですから実は、曾良はこれらの部分を詳しく芭 蕉に話しているんです。曾良の話は縁起(=起源・由来)の話ですから、室の八島の由来 説明(次の註6)と同じように、昔々これこれの出来事があったので現在『富士一体なり 』であり、またこれこれの出来事があったので現在『このしろという魚を禁ず』です、と 曾良は話したんです。『・・・富士一体なり』だけでは、なぜこの神社の祭神が 富士山の神と同じ木の花さくや姫なのか分かりませんし、『このしろという魚を禁ず』だ けでは、何のことやらさっぱり分かりません。

(註6) 『無戸室に入りて焼けたもう誓いのみ中に、火火出見の命生まれ給いしより室の八嶋と申 す。又煙を読み習し侍るもこの謂なり。』曾良の話はこの神社の縁起話の話であ って記紀神話の話ではありませんから、記紀神話では無戸室で彦火々出見命他の3神が生 まれたことになってますが、木花咲耶姫に替わる前にこの神社の祭神だった彦火々出見命以 外の2神は、この神社と関係ないので曾良の話、すなわちこの神社の縁起話の説明には出 てきません。この神社の縁起話では無戸室で生まれたのは彦火々出見命だけであるという ことになっていたのかもしれません。













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