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第2章 平安室の八島 の備考の補遺

下文(くだしぶみ)
上意下達を目的として平安時代中期以後に上位の機関(官司とは限らない)から下位の 機関もしくは個人にあてて出された命令文書のこと。

地頭(じとう)
鎌倉幕府・室町幕府が荘園・国衙領(公領)を管理支配するために設置した職。地頭職という。
鎌倉時代には源頼朝が朝廷からの認可を得て全国へ設置した。在地御家人の中から選ばれ、 荘園・公領において武力に基づき軍事・警察・徴税権を担保し、土地や百姓を自己の物とした。

(註1) 右壽永二年(1183年)八月 日(志田義広の一件の後日)御下文に云う件の人(小山 朝政)を以って彼の職(地頭職)に補任す、者、今仰に依り政所の下文を成し賜うの状、 件の如し、以って下す。建久三年(1192年)・・・

日向野郷
【地図】 下野国庁跡からこの地図のこの辺りまで約200m。
1910年頃作られた詳しい地図を見ると、この地図のこの辺りに「日向里」という名前 の小字(こあざ)(但し読みはわかりません)が在り、この辺りを含む広い範囲が「日向 野郷」だったんではないかという説があります。

[小山朝政譲状](おやまともまさ ゆずりじょう)
これはこの頃までには下野国の守護になっていた小山朝政がその職と所領を嫡孫の長村に 譲る書状です。
「国府郡」とは、現在の栃木市国府地区を中心とした地域に対して、当時の下野守護小山 氏が付けた名称のようです。

(註2) 「無戸室・・・より室の八嶋と申す」に対する註
1) [芭蕉 おくのほそ道 付 曾良旅日記 奥細道菅菰抄]萩原恭男 校注・解説、 岩波文庫、1957年
 「八島は竈の神(文徳実録、斉衡ニ年十二月丙子朔)で、それを室の八島に付会したも の。」
2) 日本古典文学大系46[芭蕉文集]杉浦正一郎・宮本三郎・荻野清校注、岩波書店 、1959年
 「(記紀にある無戸室神話を説明し)竈神の意のやしまから付会されたか」
3) [おくのほそ道]板坂元・白石悌三 校注・現代語訳、講談社文庫、1975年
 「竈の神をヤシマというにより、室のヤシマに付会した説。」

古髄脳
源俊頼(1055−1129年)が編集した歌論書[俊頼髄脳 ](としよりずいのう、 1113年成立)のことか?
[俊頼髄脳 ]の内容は、和歌にまつわる故実や伝承などを説話的に記したもの。


この「私」がいつの時代の誰か、筆者には分かりません。


何かの書物名の略ではないかと思われますが、不勉強でよくわかりません。「私」の誤写 ではなさそうです、「和」は自分の考えを述べていませんので。

大嘗会(だいじょうえ)
天皇の即位後、天皇自らが初めて新穀を神々に供える祭事。

竈神のヤシマ
[伊呂波字類抄](平安時代末期〜鎌倉時代初期)
   「竈神 ヤシマ」
[文徳実録]・[三 代実録]を参照のこと
















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