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第3章 中世室の八島 の備考の補遺

彼岸の入りに寒い
でも、寒いのは彼岸の「入り」だけじゃないでしょう。だったら「毎年のことよ。彼岸の寒 いのは、」(筆者)と言うべきでしょう。


我々が「暦」と言ってるのは基本的に、紀元前に中国で発明された「二十四節気」のこと です。
当時、温度を測る装置はなかったので、各季節は太陽の高さで決めていました(太陽の高さは、 地面に立てた棒の影の長さで簡単に測れます)。この方法で一年を八等分できますが、 それらの間の三等分は当時の中国の都の自然現象で分けてるんでしょう。ですから当然 日本の季節感とは合いません。また、「小寒」「大寒」等は体感温度で決めてるんでしょう。

平年値
気温や降水量などの気象要素(気候要素)の長期平均の値のことで、具体的には西暦で 「末尾が1から三つ先の0まで」の30年間の平均値で、10年ごとに更新する。 この表の場合は1981−2010年(計30 年間)の平均値。

*平年
なお平年(へいねん)とは、暦において日数や月数に特別な増減を設けていない年、つまり 「うるう年でない年」のことであり、「今日の気温は平年より高い」などと、気温について 言う時に使える言葉ではない。こういう時は「今日の気温は平年値より高い」と言うべき である。なお気温は、日によっては一季節((一日の最高気温の)高温・低温の幅は約7℃) を飛び越えるほど上下するので、平年の値なんてものは存在し得ない。

為朝
 源為朝(みなもとの ためとも)は、為義の八男で、義朝(源頼朝・義経の父)の弟にあたる。 弓の名手として知られ、九州で暴れ回り、「鎮西八郎」と称された。

 1156年(保元元年)、崇徳上皇と後白河天皇の対立に武士も参加した保元の乱が起 こる。

 為朝は父為義とともに崇徳上皇につき、兄義朝は後白河天皇について戦った。

 為朝は夜戦を主張するが受け入れられず、逆に義朝に夜討ちをかけられてしまう。

 奮戦の末、敗れた為朝は、その武勇を惜しまれ命は助けられたが、自慢の弓は引けないよ う腕の筋を切られて伊豆大島に流された。

 傷が癒え再び弓を引けるようになると大暴れし、伊豆七島を支配するようになるが、為 朝追討の院宣(下の註)が発せられ、追討を受けた為朝は自害した。

関東以西沖縄に至る各地に為朝伝説が有る。

(註)院宣(いんぜん):上皇からの命令を受けた院司が、奉書形式で発給する文書。

臨時祭
石清水八幡宮 【地図】 で毎年3月行われてきた祭り。942年平将門・藤原純友の乱平定の祭りを 行ったのに始まり、のち恒例となる。都の人は賀茂祭を北祭、これを南祭と呼んだ。

加陪従(かべいじゅう)
臨時に加えられた神楽の管弦に従事する楽人。 藤原隆信は、1158年に十七才で石清 水の臨時祭の舞人を勤めてから、三十才過ぎまで石清水臨時祭に舞人を勤めた。

三流(さんる)
古代の律に定めた、遠近で三種に分けた流罪(るざい、いわゆる島流し)。
 近流(こんる) →中流(ちゅうる)→遠流(おんる)

室の八島大明神
室の八島大明神が現大神神社に替わるのはちょっと後の1890〜1900年頃のようで す。

[義経物語]諸本
『[義経物語]諸本』って、[義経記]はまた[義経物語]という名前で沢山出版された ようです。

(考察)『[義経物語]諸本』が『沢山出版された』って、それは江戸時代以降のことじ ゃないの?江戸時代以降などという後世の本をいくら調べたって意味無いんだけど。

(古典文学大系頭注)
つまり、[古典文学大系]に収録された本の中の[義経記]の頭注にそう書いてあったと いう意味ね。

諏訪大明神
[神道集]巻10−50 諏訪縁起事
「・・・
甲賀三郎は信濃国岡屋の里に諏訪大明神の上宮 【地図】 として顕れた。本地は普賢菩薩である。
・・・
甲賀太郎は下野国宇都宮の示現太郎大明神として顕れた。
・・・
母は日光権現として顕れた。
本地は阿弥陀如来(維摩姫)・薬師如来(次郎)・普賢菩薩(太郎)・千手観音(父)・ 地蔵菩薩(母)等である。」

別の[神道集]では
巻第10 諏訪縁起事
「信濃国岡屋の里に立て、御名乗を諏方と申す間、諏方大明神とて上宮と顕れ給ふ。諏方 (よりかた、甲賀三郎のこと)と書て諏方(すわ)と読む故に、もと岡屋の庄と呼びける を、大明神の御名乗に依り、諏方郡とは申すなり。
・・・
甲賀太郎殿は、もとより下野国宇津宮に御在しは、示現太郎大明神と顕れ給ふ。
・・・
御母は日光権現と顕れ給ふ。
皆御本地は弥陀(維摩姫)・薬師(次郎)・普賢(太郎)・千手(父)・地蔵(母)等な り。
この御中甲賀三郎諏方、上宮と顕れ給ふ。本地は普賢菩薩なり。」

(考察)「宇都宮大明神事」と「諏訪縁起事」とで、なぜか宇都宮大明神の本地が変わっ ちゃってますね。
(参考)[神道集]巻4−18 諏訪大明神五月会事
「熱田大明神は諏訪大明神の甥で、宇都宮大明神の御子である。
宇都宮大明神は諏訪大明神の兄である。」

矢橋(やばせ)
矢橋は滋賀県草津市の集落地名。矢橋から船に乗り対岸に達すると東海道の近道になるこ とから、古くから琵琶湖岸の港町として栄えた。近江八景の「矢橋帰帆」として有名。

菖蒲を葺く(あやめをふく)
「端午の節句前夜、五月四日の夜に軒に菖蒲(しようぶ)を葺く風習。平安中期の宮廷で始まり、 その後武士や庶民にも広がったという。菖蒲に蓬を添えて葺くことで、夏に発生する毒虫や 火災を防ぎ、邪気を払う意味があった。」

「(端午の節句の前日の夜に)家の軒に菖蒲(しようぶ)を挿す。
軒に菖蒲を挿すのは、健康を願ってする風習だった。なお、「葺く」には、屋根を覆いつくる 意もあるが、菖蒲は屋根材には用いない。」

あやめ
古くは菖蒲のことを「あやめ」と呼んだようです。
この菖蒲は菖蒲湯に使うショウブ科の植物で、花はガマの穂のような地味なもの です。
一方、花ショウブはアヤメ科の植物で菖蒲とは別物です。

(註1) ツナシとコノシロ:西日本の呼び名、東日本の呼び名という区別は大雑把な話です。でも 少なくとも関東ではコハダあるいはコノシロと言わなければ通じなかったんではないでし ょうか?

かしこまり
(畏まり):とがめをうけて謹慎すること。

ひがごと
(僻事):道理や事実に合わないこと。まちがっていること。



















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